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海苔を知る


海苔は万葉の昔より日本人に愛されてきた食材。日本人の味覚の記憶の原点となる食材のひとつです。
海苔は上流階級のご馳走だった

海苔が日本の歴史で最初に登場するのは万葉の頃。日本で最初の法律「大宝律令」(701年)に、その貴重な記録が残されています。現在の税金にあたる調には約30種類もの海草類が挙げられているのですが、そのなかでも海苔は高級品とされ、とても貴重な食材として扱われていたようです。


その後、平安京(710年)の都には海草類を売る「にぎめだな」という市場や、海苔や昆布を佃煮のように加工して売る「もはだな」という市場も登場します。しかし、高級品である海苔は庶民の食卓に並ぶことはなく、もっぱら貴族たち、上流階級のご馳走として食されていたようです。


ちなみに、この頃、食されていたのは生海苔が主流で、乾燥した板海苔や、海苔巻きなどのレシピが登場するのは、もう少し時代を下ってからのこと。その頃には、庶民の間にも流通し始め、日本の食文化を代表する食材として、多様な食べ方が発案されていきます。いずれにしろ、海苔は日本の食文化の原点であり、発展を担ってきた歴史のある食材のひとつというわけです。


江戸を中心とした海苔の生産革命

さて、それでは海苔が現在のような親しみ深い食材となったのは、いつ頃からでしょう? それは江戸時代に入って、東京湾で海苔の養殖が始まり、それまでの数十倍の海苔が市場に出まわりだしてからのことです。時の幕府はこれに目をつけ、生産を奨励し、専売制を実施して、海苔を貴重な財源としました。


さらに江戸時代中期になると、板海苔が登場し、江戸のファーストフード「海苔巻き」が庶民の間で大流行します。江戸の町には「屋台寿司」と呼ばれる店も登場したといいます。現在でいうと、コンビニで買うおにぎりのような感覚でしょうか? 今も昔も、日本人の大好きなお米を手軽にいただくのに、板海苔が大活躍しているのですから、これはかなり画期的な発明だったわけです。


ところで江戸時代に海苔養殖が開始されたものの、海苔の生態そのものが解明されていなかったため、生産は安定性を欠き、海苔は長い間、相場商品として扱われ、巷では「運草」などと言われていました。その後、英国のドリュー女史が海苔の糸状体を発見し(1949年)、戦後、日本の海苔養殖は飛躍的な発展を遂げ、現在のように安定した養殖スタイルが確立したといわれています。


世界各地でさまざまに異なる海苔の食文化。海苔へのこだわりは、食文化へのこだわりでもあります。
各地で異なる海苔の食文化

日本の他に、現在、海苔を養殖している国は、中国・韓国・英国・ニュージーランドなどの国々です。そのうち古くから海苔を食用としてきた国は、日本・中国・韓国・英国の4カ国のみ。といっても、英国の場合は一部地域のみで、英国全土でポピュラーな食べ物というわけではありません。食べ方も品種も、日本とは異なり、パンに塗って食べたり、油で揚げたり、珍味のたぐいとして食されていたようです。


一方、中国では日本の品種とは異なる海苔を食していたようで、日本と同じような四角い焼き海苔を食べるようになったのも最近のことだと言います。また、韓国ではごま油と塩で味つけした独特の「韓国海苔」がとても有名です。


最近の日本食ブームからか、海苔は世界中で食され、養殖も世界各地で行われるようになりました。その結果、日本国内にも中国産や韓国産の海苔がたくさん流通するようになったわけですが、歩んできた食文化の違い、生産技術の違いなどを背景に、その味も各国さまざまです。もともと海苔は、その土地の自然が育んできた食材で、生産地によって微妙に風味の違いが生まれる食材だといいます。豊富に出まわっているからこそ、ご家庭の味にあった逸品を選んでいただくのが、美味しく海苔を召し上がっていただく一番の秘訣!いろいろ食べ比べて、ご家庭こだわりの味をみつけるのも、楽しいかもしれませんね。




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